きみのためにたとえ世界を失うことがあろうとも、世界のためにきみをうしないたくはない。

昔、死んだ女好きのどっかの詩人の言葉。



        EPISODE 5 : 夢のその先へ


「でな、そこの味噌らーめんが実にうまいんだよ」
 高校時代からの友人とらーめんを食べに行く。
 こいつは普段、モデルクラブのマネージャーをやっているのだが、モデルの子にもあきれられる程のらーめん大臣っぷりなのだ。
「同じ店で何回も醤油は食った事あるのだよ。醤油も、まあ、うまいのだ。しかし、まさか味噌があんなにうまいとは、さすがのオレも気付かなかった」
「あそこの店の醤油はオレも食った事ある。うまかった。しかし、味噌はそんなに違うのか?」
「違う。たまに行ってた店だけに意外だった。ああ、なんて言うのかな…」
 しばし言葉を切り、やつは自分の中で言葉を探す。
「地味だと思ってた女の子が、眼鏡を外すと実は可愛かった…みたいな?」
「バカ!お前バカ!」
 確かに味噌うまかったけどさ。


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 ようやく連絡のついた英梨は完全に壊れていた。
 とりあえず一緒にレコード会社の人と会って話をしたが、泣いて謝るばかりでマトモな話し合いにはならなかった。 結局、その場でレギュラーの子供番組の降板が決定。ぴっちだけは何とか最後までやるという事で話は終わる。 話し合いが終わった後、泣きっぱなしの英梨を支えながら駅まで歩く。
「ごめんなさい。期待に応えられなくてごめんなさい。こんな事してしまってごめんなさい。みんなに迷惑かけちゃってごめんなさい…」
 ブツブツと独り言みたいに謝り続ける英梨の肩を抱きながら、今日も空を見上げる。
「でもね、でも…」
 曇り空だ。分厚い雲が空を覆っている。
「ぴっちだけはやるから。最後まで頑張るから…」
 星が見えないな。


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 どっかで携帯が鳴っている。
 しばらくしてから、それが自分の携帯の着信音だとようやく気付く。
『はい』
『あ、社長か?』
 この粗暴な物言いはあいつしかいない。スタッフのトモヤだ。
『トモの字か』
『トモの字じゃねーよ!どこで何やってんだよ!!』
『…えーと』
『海か?』
 何でバレるのかな?
『また海行ってんのか?わかるんだよ、さっきから波の音聞こえてるしな』
『…うん』
『ま、気持ちわからんでもないけどよ。早く帰ってこいよ。他の子もいるんだからさ』
『わかってる』
『あ、それからな…』


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「じゃ、マスター。次のつまみはね…」
 そしていつもの店・K月。今日はスウィングガールズ海外遠征から帰ってきたなぎさと一緒に飲みに来ているのだ。
「では、なぎちゃんの好きな梅とシソを使って、何か作りましょうか?」
「マスター、最高!」
 なぎさ大拍手。こいつ21になったにしては子供っぽいんだよな。
 マスターと会話しているなぎさを横目で見ながら考える。幸いにも、オレは英梨の事ばかりやっているわけにはいかなかった。 瑠香のオーディションに同行し、美帆の舞台のスケジュールを管理し、ありかのプロフィールを届けて、東奈の撮影に顔を出す。 そして帰国したなぎさと飲む。やる事があってよかった。やる事がなかったら、こいつらがいなかったら、本当にオレは逃げてた かもしれない。



 あれから何回か英梨には会っている。
「あ、先週の収録の時ね…」
「うん」
 自分で言った通り、ぴっちだけは頑張っている。
「スタジオで落書きしてたんだ。星羅の絵」
「ふんふん」
「そしたらね、スタジオに置いていった私の絵が来週の台本の裏表紙に載ってたの!」
「おお!そりゃスゲー」
 そしてオレ達は会話を交わす。いつも通りに明るく、楽しく、絶対にあの事には触れず。
「Happy TOGETHERは見てます?」
「たまにな」
「すっごいですよ〜。星羅のイラストが、ばんばんウプされちゃってますよ〜」
「そっか」
「すごいですよね。ちょこっとしたマンガもセンスがあって面白いし、でもあの人って重度のピッチスキーですよね。 ぴっちが終わったら一体どうなっちゃうんだろ?」
 それは、こっちがお前に聞きたい。
 ぴっちが終わったら、お前どうなっちゃうんだよ?



「で、ですねぇ…ヒロセさん聞いてます?」
「ああ、聞いてる聞いてる」
 いつの間にか話題はなぎさのバイトの話へと変わっている。
「なぎはですねぇ、こっちに友達少ないんですよ。ミュージカルで共演した子とか、スウィングで共演した子とか、お仕事関係しか いないんですよ。だから、バイトして同年代の友達作ろうかと思ってるんですけど、何か仕事が決まった時に融通のきくバイトって、 なかなかなくて…」
 そうだな。シフトやマニュアルが厳しいチェーン店だと、この仕事やってる子は大変だ。でも融通きくバイト先なんて、そうそう 見つかるもんじゃ
「うちでやればいいじゃない」
 サラッとマスターが言う。
「ええええっっ!!いいんですかぁ?」
 なぎさの瞳が潤んでいる。
 確かにここなら融通きかせてくれるし、マスターなら預けても安心だし、他のバイトも学生でいい子達だし、オレの目が届くし、時 給は安いが食事も出る。悪くない。
「他になかったらお願いしていい?」
「いいですよ」
 マスター、あんたいい人だ。
「あの、あの、でもですねぇ…」
「なんだ?」
「上京したばっかの頃、なぎバーミ○ンでバイトした事あるんですよ。その時に、まだ入ったばっかりなのに忙しい時間になっちゃって 、料理をあちこちのテーブルに運ばなくちゃならなくて、慣れてないのにたくさん料理いっぺんに持たされて、頭パニクッちゃって…」
「で?」
「お客さんに頭からラーメンぶちまけちゃって、すごーく怒られて、クビになった事があるんです。こんななぎでも大丈夫ですか?」
「……」
 そんなマンガみてーなシチュエーション、見た事ねーぞ。


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「よお」
「おはようございます」
 ぴっちの最終収録の日が来た。
 今日を最後に英梨のスケジュールは、明日からもう何も入っていない。
「テストどうだった?」
「ええとですねぇ…」
 いつも通りに待ち合わせて、いつものように軽い会話をしながらスタジオに向かう。
「そうだ、英梨。お前『改蔵』の最終巻読んだか?」
「いや、だから私は…」
「大蛇足って巻末書き下ろしがあるんだよ」
「えっ?じゃあ、あの最終ページの後に地丹が出てきて『ケッケッケ、これで終わりだと思っただろう?バカ者どもめ』とか言って 全部ひっくり返してくれるような…」
「いや、そこまではないんだが…。まあ、読んどけ」
 スタジオ行く途中に本屋に寄って英梨に改蔵を買ってやる。相変わらず買ってもらう分際で、平積みの一番上から取ろうとすると 怒りやがる。いつもの通りだ。


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 最終話の収録は定刻通りに始まり、予定通りに終わった。
 バカ騒ぎしていた最終話のテンションのまま、みんなで打ち上げ会場に移動して宴が始まる。
「♪愛のたーめにたたーかう♪」
 英梨の歌で幕を開けた打ち上げは最高潮に盛り上がっていく。
 今日ですべてが終わる。10年以上に渡って続いてきたオレと英梨の話もいよいよ最終話ってわけだ。それが寂しくもあり、どこか でホッとしていたりもする。
「♪ゆーめが始まるスーパソーング♪」
 『Super Love Songs!』がかかり聴衆は更にヒートアップ。三人がステージで振り付きで歌い踊る。トレードマーク の赤い帽子を被ったふじもと監督が盛り上がっている。特別ゲストのぴんく先生も盛り上がっている。勝さんはじめ、作曲や作詞の先生 方も盛り上がっている。本当に、本当にスタッフに愛されていた作品だったんだなと今更ながらに思う。
 あすみちゃん、仁美ちゃん、浅野さんがそれぞれにソロを歌う。熱狂は止まらない。打ち上げ会場のクラブのモニターには、すべてぴ っちの映像がエンドレスで流れている。店員さんはみんなお洒落なイマドキの若者達で、何なんだこりゃと目が点になっている。絶対ぴ っちは見た事ないんだろうな。いいぞ。いいぞ。もう何杯目かわからなくなったビールをあおる。今日で最後だ。やっと今日で終われる んだ。みんな騒げ!そして、最後の時が近付いてくる。
「♪七色ーのー、かーぜに吹かれてー♪」
 『Legend of Marmaid』だ。やっぱりラストはこの曲だ。キャストとスタッフが全員で大合唱だ。何だか涙が出そう になってきた。いい作品に出会えてよかった。この仕事が英梨と出来てよかった。また新しいビールをあおる。曲は終わりに近付き、熱 狂の宴もエンディングを迎える。
 打ち上げが終わった。


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 英梨と二人で歩いている。
「この前ですね、友達とミスド行ったんですよ」
「ふーん。アキバ?」
「違いますよっ。普通のとこ」
「ふーん」
 最後までいつも通りに会話して終わろうと思った。
「そこでね、隣のテーブルに小学生の女の子のグループがいてね」
 そして、もう二度と会う事はないのかもしれない。それでいいと思った。
「その中の一人が凄いピッチスキーで、星羅たん大好きでね、他の子に延々いかにあの作品が面白いか語ってたんですよ」
「そっか」
「…あのね」
「ん?」
「嬉しかった。私が迷いながらやってて、うまく出来てるか自信なかった星羅をあんなに好きでいてくれて。いや、あの子だけじゃなく て、少しだけ来たファンレターも凄く嬉しかった。憧れていた声優さんと仕事が出来て嬉しかった。小学生の時にFMシアターで共演し た永田さんとまた共演出来て嬉しかった。歌も、歌も歌えて…」
 何を言い出すんだ?こいつは。
「私は、あんな事しちゃってもうダメなんだとわかってる。たくさんの人に迷惑かけちゃったのもわかってる。復帰しようとしても出来 ないだろうし、それに今は仕事を続けていけない個人的な事情もある」
 そしてこいつが何を言いたいのか、わかってしまう自分も
「だから…、その…」
「HPのお前の部屋は閉鎖しない」
「え?」
「2、3ヶ月に一度でもいいから原稿描いて持ってこい。アップしてやる。内容は近況でもアニメやマンガの感想でも何でもいい」
「はい」
「今日で仕事は全部終わりだが、いつか仕事やれる状況になったらいつでも帰ってこい」
「はい」
「あ、アニコレドラゴンから2号に原稿依頼きてたぞ。どうする?」
「えーと、描く。家で描いて送ります」
「よし」
 この星の小さな極東の島国。その片隅で、そして芸能界の端っこでオレ達は生きている。
「あ、そういえば何年か先にはゲーム作ってるんだもんね、私たち」
「そうだっけ?」
「そうだよ」

 そして歩いていく。


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 オレの部屋の片隅、ばかでっかいコルクボードが壁にかかっている。そこには学生時代の友達から、仕事先でのロケスナップまで、 何十枚という写真が無秩序に貼られている。その写真達に紛れている隅っこの方の一枚、モノクロで、少し色褪せてきている一枚の写 真。
 そこにあいつがいる。
 その写真の中で、まだうんとちっちゃかった小学生低学年の頃の英梨は、初めて撮るプロフィール用写真に少し緊張しながらも、カメ ラに向かって実にいい笑顔で笑いかけている。